500点以上の毛織物製品から成る「墨コレクション」(一宮市博物館所蔵)に含まれる軍服や明治時代のスーツなど、貴重な洋装の資料を展示します。男性の洋装がどの様な変遷をたどって現在の背広のような形となり日本にまで広まったのか、ご紹介します。
- 開始場所
- 一宮市博物館2階 特集展示コーナー
- 開催日時
- 3月2日(火)~4月4日(日) 毎週月曜日は休館
午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで) - 料金
- 大人300円、高大生150円、中学生以下無料
出品資料
《英国海軍大将正装》
前面の生地が左右から重なり合い、2列のボタンが付けられています。軍服のこのスタイルは、ダブルのスーツへと受け継がれました。一方、シングルのコート(ボダンが1列)は、乗馬用のコートから来ています。
《明治天皇所用フロックコート》
フロックコートはイギリス紳士により世界中に拡散し、日本では明治10年(1877)に官吏の通常礼服となって知識階級や富裕層に広まりました。
明治天皇は、明治5年(1872)に「服制変革内勅」で「風俗ノ一新」を公家や諸侯に促しました。自ら生活を洋式化して政務の際には軍服を着用、フロックコートは私的に着用していました。
《ラウンジスーツ(背広)》
首相・佐藤栄作(1901~1975)所用 昭和48(1973)年 銀座テーラー製
ラウンジスーツ(背広)は、19世紀半ばにイギリスで誕生し、非公式の場で着る簡略な服装として借用され始めましたが、のち略礼服に昇格しました。これまでより生地が少なく簡略な作りで、大量生産が可能となり、幅広い層へと普及しました。
日本では第一次世界大戦による好景気で工業が発展して、都市部のサラリーマンを中心に背広が広まりました。
佐藤栄作は昭和49年のノーベル平和賞受賞の際、本展示資料と同じ日本のテーラーで、燕尾服も仕立てています。